2012年2月 4日
立ち上がれ文学部!おもしろ至上主義のススメ
大山総裁に「美学入門講座やってくれ」といわれ、「え、それ私もだれかにやってほしい!」とおこたえしたのだが、私は、大学で「美学藝術学」という、一般にはあんまり耳慣れない学問を専攻してた。 美大だったわけでもないし、美術史ともちがう(というのを美学の学生はみんな150回くらい説明したことがあるとおもう)。
美学は美についての哲学。
「というかその”美”ってなによ?」
ということを延々と語りあうみたいな、わたしのような悲しくなるほど根がミーハーな人間からいわせれば、哲学の中でもかなりの極北に位置するスノッブな学問である。某教授の部屋に集まってアリストテレスを輪読してたときのあの「世の中の99%くらいのひと眼中にナシ」的空気感よ…。
社会学や経済学にとって数字がすべてなように、哲学にとっては言葉と言葉の定義がすべてなので、定義を知らない奴はひとことも喋れないみたいなマジおそろしいところなんすよ…
で、わたしはその言葉の定義のほとんどを知らないかうろ覚えしているかあるいは間違って使っているかのどれかなんで、美学についてなんてとてもとても語れません。ああこわい……
ただ、私の現在の価値観とか思考法とかは、かなりの部分、この極北スノッブな研究室にいた時代に培われていることは事実。 それをひとことでいうと、
「おもしろ至上主義」
なのだ。
私は、小説を読むときも、音楽を聴くときも、映画をみるときも、テレビのニュースをみるときも、ツイッターにいるときも、母と会話するときも、
「それが自分にとっておもしろいかどうか」
をまずいちばん大切な価値基準にしてる。
ということを考えてるときに、ちょうど、「おもしろければなんでもいいのか!」と、猛烈に怒っている方がいらっしゃったので、この件について考えてみたい。
続きを読む: 立ち上がれ文学部!おもしろ至上主義のススメ
2012年2月 3日
批評の不在についての補足―アンドレアの着るブルーのセーターが本当に「ただのブルーのセーター」になること
前々回の記事の補足その2。
昨日は批評の定義に関する補足だったが、今日は「批評の不在」に関する補足。
『プラダを着た悪魔』という映画の中で、一流ファッション誌の編集長であるミランダ・プリーストリーが20世紀の産業構造を簡潔に説明するくだりがある。
次号の表紙のモデルの衣装を決めている場面で、ミランダとアシスタントの何人かが2本のベルトのどちらを選ぶかを真剣に検討しているところ、ファッションには完全に無頓着な主人公アンドレアが、くすりと笑う。「その2つは、どちらも同じにみえたので」と。そこでミランダは、主人公のアンドレアが着ているブルーのセーターについてこういうふうにこたえる。
ウェブに英語の原文があったので、長いけど全部引用してしまおう。
'This... stuff'?
Oh. Okay. I see. You think this has nothing to do with you. You go to your closet and you select... I don't know... that lumpy blue sweater, for instance because you're trying to tell the world that you take yourself too seriously to care about what you put on your back.
But what you don't know is that that sweater is not just blue, it's not turquoise. It's not lapis. It's actually cerulean. And you're also blithely unaware of the fact that in 2002, Oscar de la Renta did a collection of cerulean gowns. And then I think it was Yves Saint Laurent... wasn't it who showed cerulean military jackets? I think we need a jacket here. And then cerulean quickly showed up in the collections of eight different designers. And then it, uh, filtered down through the department stores and then trickled on down into some tragic Casual Corner where you, no doubt, fished it out of some clearance bin.
However, that blue represents millions of dollars and countless jobs and it's sort of comical how you think that you've made a choice that exempts you from the fashion industry when, in fact, you're wearing the sweater that was selected for you by the people in this room from a pile of stuff.
「こんなの」ですって。
なるほど、わかったわ。あなたには関係ないことよね。あなたは家のクローゼットから、そのサエないブルーのセーターを選んだ。「私は着るものなんか気にしない人間」というこを世間に知らせるためにね。
でも知らないでしょうけど、その色はただのブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない、セルリアンよ。 あなたはこんなことには無頓着でしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のガウンをコレクションで発表し、すぐにイヴ・サン・ローランがセルリアンのミリタリー・ジャケットを発表した。セルリアンは、たちまち8人のデザイナーのコレクションにも登場。そしてついにはデパートにまでも広がっていき、あの悲惨な「キャジュアル服コーナー」にまで現れた。そこであなたがバーゲンの棚から選んだ。
その「ブルー」は巨大市場と無数の労働の象徴なのよ。 とても滑稽ね。あなたは「ファッションとは無縁」と思って選んだのだろうけど、そもそもあなたが着ているそのセーターは、ここにいる私たちが選んだのよ。山のようにある「こんなの」の中からね
(日本語訳はこちらのサイトから。
ちなみにこちらのサイトの『プラダを着た悪魔』評もおもしろかったです。)
昨日は批評の定義に関する補足だったが、今日は「批評の不在」に関する補足。
『プラダを着た悪魔』という映画の中で、一流ファッション誌の編集長であるミランダ・プリーストリーが20世紀の産業構造を簡潔に説明するくだりがある。
次号の表紙のモデルの衣装を決めている場面で、ミランダとアシスタントの何人かが2本のベルトのどちらを選ぶかを真剣に検討しているところ、ファッションには完全に無頓着な主人公アンドレアが、くすりと笑う。「その2つは、どちらも同じにみえたので」と。そこでミランダは、主人公のアンドレアが着ているブルーのセーターについてこういうふうにこたえる。
ウェブに英語の原文があったので、長いけど全部引用してしまおう。
'This... stuff'?
Oh. Okay. I see. You think this has nothing to do with you. You go to your closet and you select... I don't know... that lumpy blue sweater, for instance because you're trying to tell the world that you take yourself too seriously to care about what you put on your back.
But what you don't know is that that sweater is not just blue, it's not turquoise. It's not lapis. It's actually cerulean. And you're also blithely unaware of the fact that in 2002, Oscar de la Renta did a collection of cerulean gowns. And then I think it was Yves Saint Laurent... wasn't it who showed cerulean military jackets? I think we need a jacket here. And then cerulean quickly showed up in the collections of eight different designers. And then it, uh, filtered down through the department stores and then trickled on down into some tragic Casual Corner where you, no doubt, fished it out of some clearance bin.
However, that blue represents millions of dollars and countless jobs and it's sort of comical how you think that you've made a choice that exempts you from the fashion industry when, in fact, you're wearing the sweater that was selected for you by the people in this room from a pile of stuff.
「こんなの」ですって。
なるほど、わかったわ。あなたには関係ないことよね。あなたは家のクローゼットから、そのサエないブルーのセーターを選んだ。「私は着るものなんか気にしない人間」というこを世間に知らせるためにね。
でも知らないでしょうけど、その色はただのブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない、セルリアンよ。 あなたはこんなことには無頓着でしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のガウンをコレクションで発表し、すぐにイヴ・サン・ローランがセルリアンのミリタリー・ジャケットを発表した。セルリアンは、たちまち8人のデザイナーのコレクションにも登場。そしてついにはデパートにまでも広がっていき、あの悲惨な「キャジュアル服コーナー」にまで現れた。そこであなたがバーゲンの棚から選んだ。
その「ブルー」は巨大市場と無数の労働の象徴なのよ。 とても滑稽ね。あなたは「ファッションとは無縁」と思って選んだのだろうけど、そもそもあなたが着ているそのセーターは、ここにいる私たちが選んだのよ。山のようにある「こんなの」の中からね
(日本語訳はこちらのサイトから。
ちなみにこちらのサイトの『プラダを着た悪魔』評もおもしろかったです。)
2012年2月 2日
私はまだ誰もしたことがないやりかたでこの世界をみてみたい
前々回の記事に対してもらった反応からいろいろ考えていて、
140字でまとめたらすっきりしたので、少し文脈を整理しつつこちらにも書いておく。
ソーシャルでの行動は「共感」がベースなので、
「いいね!」「俺も俺も」 「これはひどい」「俺も俺も」と広がる。
140字でまとめたらすっきりしたので、少し文脈を整理しつつこちらにも書いておく。
ソーシャルでの行動は「共感」がベースなので、
「いいね!」「俺も俺も」 「これはひどい」「俺も俺も」と広がる。
それに対して「批評」という行為は、
「まだ誰もしたことがないやりかたでなにかを読み解くこと」だとおもう。
「まだ誰もしたことがないやりかたでなにかを読み解くこと」だとおもう。
これが、私が「いいね!」や「これはひどい」がまったく批評ではないと思う根拠だ。
優れた批評家は、それが超個人的な感情に基づくものであれ、
凡人離れした感性によるものであれ、独自のセンスによるものであれ、
緻密な構造分析の結果であれ、超人的な博識に基づくものであれ、あるいはその全部であれ、
他のひとには真似できないやり方で、世界を読み解いてくれる。
「新しくなにかを生み出す」クリエイターと、「独自のやり方でそれを読み解く」評論家がいて、
私の世界は毎日少しずつ更新されていく。
たとえば、事の真偽に関してや、質や性能の良し悪しに関してであれば、
「いいね!」や「これはひどい」による数の評価はある程度参考になる。
だけど、「正しい」や、「良い」「悪い」は多数派の正義だとおもう。
少数派の正義は「おもしろ」だと私は信じてる。
私は、みんなが信じているのとは別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私は、自分自身が信じてきたのとも別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私の世界は毎日少しずつ更新されていく。
たとえば、事の真偽に関してや、質や性能の良し悪しに関してであれば、
「いいね!」や「これはひどい」による数の評価はある程度参考になる。
だけど、「正しい」や、「良い」「悪い」は多数派の正義だとおもう。
少数派の正義は「おもしろ」だと私は信じてる。
私は、みんなが信じているのとは別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私は、自分自身が信じてきたのとも別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私は、まだ誰もしたことがないやりかたで、この世界をみてみたい。
2012年1月28日
5枚でわかる『たけしのニッポンのミカタ』田村出演シーン
先週のオンエアでしたが、テレビ東京の『たけしのニッポンのミカタ』の1コーナーに、エスカレーターマニアとして出演いたしました。

「小さいことはいいことだ」という特集で、日本の狭小住宅と日本人の特性や、小さい居酒屋など「小さい」ことを売りにしたビジネスのお話で大変真面目な番組なのですが、その中の「太一の解体珍書」というコーナーで、小さい世界のマニアのひとりとして出てます。
他の出演者は、みちくさ学会でもご一緒している井戸の柏崎さん、たい焼き魚拓の宮嶋さん、バスの押しボタンの石田さん。全員、NHK熱中時間ご出演経験アリでございます。私は熱中時間は静止画でしかでてないんですが。

「小さいことはいいことだ」という特集で、日本の狭小住宅と日本人の特性や、小さい居酒屋など「小さい」ことを売りにしたビジネスのお話で大変真面目な番組なのですが、その中の「太一の解体珍書」というコーナーで、小さい世界のマニアのひとりとして出てます。
他の出演者は、みちくさ学会でもご一緒している井戸の柏崎さん、たい焼き魚拓の宮嶋さん、バスの押しボタンの石田さん。全員、NHK熱中時間ご出演経験アリでございます。私は熱中時間は静止画でしかでてないんですが。
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2012年1月26日
インターネットで成功するのは批評不在のコンテンツである
「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」という本を読んで、
マーケティングとは全然べつのことが気になったので書いておく。
私の目標は、
「おもしろいひとがおもしろいというだけで食べていける世の中を作ること」なので、
グレイトフル・デッドはひとつのモデルケースになるかな、と思って読んだ。
結論として、
グレイトフル・デッドの例は、ビジネスモデルとしてなんの問題もない。
ただ、コンテンツビジネスのモデルではない。
「ある一部の」コンテンツビジネスのモデルにすぎない。
グレイトフル・デッドは、「批評不在」のコンテンツであり、
グレイトフル・デッドのビジネスモデルで成功するのは
「批評不在」のコンテンツのみである。
そしてインターネットの時代には、
「コンテンツビジネスのモデル」という、あるひとつのモデルは成立しない。
あるひとつの大きな混沌の中で、いろんなコンテンツが、
同じ値段で同じパッケージで同じ店舗で買えた、
20世紀とは、希有な時代だったのだ、ということにいきなり気づいた。
※ちなみにマーケティングに関しては非常に勉強になった。
がしかし、この記事ではそのことに一切触れず脱線していくのみなので、
そのあたりは、この本をまわしてくれたmayumineさんの記事に
内容が詳しく解説されているのでご覧あれ。
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2012年1月23日
フジファブリックが好きな女子なんて...
「ゲーセンで不思議な子に出会う話」は物語というよりむしろ>>1のセルフカウンセリング
うん。いいぞ、もっとやれ。
がしかし、ひとことだけ!
フジファブリックwwフジファブリックwwwwwwああ、あの典型的な「根暗大学生が考える女性に受け入れられそうなバンド(そう根暗大学生が思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」ねwwwwいやいるさきっとこの世の何処かにはフジファブリックを受け入れるおにゃのこもさwwwww
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