私はまだ誰もしたことがないやりかたでこの世界をみてみたい
前々回の記事に対してもらった反応からいろいろ考えていて、
140字でまとめたらすっきりしたので、少し文脈を整理しつつこちらにも書いておく。
ソーシャルでの行動は「共感」がベースなので、
「いいね!」「俺も俺も」 「これはひどい」「俺も俺も」と広がる。
140字でまとめたらすっきりしたので、少し文脈を整理しつつこちらにも書いておく。
ソーシャルでの行動は「共感」がベースなので、
「いいね!」「俺も俺も」 「これはひどい」「俺も俺も」と広がる。
それに対して「批評」という行為は、
「まだ誰もしたことがないやりかたでなにかを読み解くこと」だとおもう。
「まだ誰もしたことがないやりかたでなにかを読み解くこと」だとおもう。
これが、私が「いいね!」や「これはひどい」がまったく批評ではないと思う根拠だ。
優れた批評家は、それが超個人的な感情に基づくものであれ、
凡人離れした感性によるものであれ、独自のセンスによるものであれ、
緻密な構造分析の結果であれ、超人的な博識に基づくものであれ、あるいはその全部であれ、
他のひとには真似できないやり方で、世界を読み解いてくれる。
「新しくなにかを生み出す」クリエイターと、「独自のやり方でそれを読み解く」評論家がいて、
私の世界は毎日少しずつ更新されていく。
たとえば、事の真偽に関してや、質や性能の良し悪しに関してであれば、
「いいね!」や「これはひどい」による数の評価はある程度参考になる。
だけど、「正しい」や、「良い」「悪い」は多数派の正義だとおもう。
少数派の正義は「おもしろ」だと私は信じてる。
私は、みんなが信じているのとは別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私は、自分自身が信じてきたのとも別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私の世界は毎日少しずつ更新されていく。
たとえば、事の真偽に関してや、質や性能の良し悪しに関してであれば、
「いいね!」や「これはひどい」による数の評価はある程度参考になる。
だけど、「正しい」や、「良い」「悪い」は多数派の正義だとおもう。
少数派の正義は「おもしろ」だと私は信じてる。
私は、みんなが信じているのとは別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私は、自分自身が信じてきたのとも別のやりかたで、この世界をみてみたい。
私は、まだ誰もしたことがないやりかたで、この世界をみてみたい。